医療が発達している現代。まるでどのような病も治るかと錯覚してしまいそうになりますが、現実にはそうではありません。このことは慢性病と名のつく病を持つ人であれば身に沁みて理解されていると思います。
 

新しい病気はどんどんできる。

検査機器が進化して体の状態をより精密に調べられるようになった結果、これまで病ではなかった体の状態が病であるとされるようになった時。新たな病気は人の手によって作られる時代となりました。 しかし、その多くの場合は原因も解決策もはっきりとしないないままに病としての定義だけが先行してしまうものが殆どで、これまで健康であった人は定義された瞬間にいきなり病となることになります。 そのため定義上は病気だからといっても生活に支障がないならいいのではないか?という考え方もあります。
 
先天性の障害やアレルギー、脳卒中後の後遺症など直ちに命を失わない病は現代医学の研究はあまり熱心にされませんでした。 状態が慢性、進行が緩慢な病気は治るのも緩慢であって薬を開発してもその効果を証明するのに非常に長い時間がかかります。 人はみな、治療をすれば目に見えて効果が現れなければ効いたとなかなか信じません。 例えば「1年後に効果が出ますよ」などという薬をなかなか使いたいとは思わないものなのです。 そのため、直ぐに薬の効果が現れる病「急性病」にどうしても医学研究は集中します。 この急性病の多くは細菌やウイルスなどの微生物によるものであり、これまでの歴史で多くの人の命を奪ってきた病たちです。 研究の成果、細菌学の発達と抗生剤、抗菌薬、ワクチンなどの発見により現代では感染症があまり大きな脅威ではなくなってきました。
現代日本で恐ろしい外感病と言えば既存の薬剤に耐性を持ったり、日本では存在しないはずの微生物、大きく変異したウイルスなどとの遭遇から起こる病です。ただ、これらは確かに恐ろしい存在とは言えますが、諸外国に処置法がある場合もありますし、相手が生物である以上、解決に多少の時間がかかったとしても、これまでの手法やノウハウの応用によって次第に克服が可能でしょう。
 

治らない病

実は治らない病というものは存在しません。 ただ、現実的に治せない病は山程あります。 そしてその多くは慢性病なのです。
先ほども出ましたが、急性病は症状が激しい代わりに治りが早い。もしくは死ぬのが早いという特徴があります。 逆に慢性病は症状があまり酷くないかわりに治りが悪く、直ちに命に関わると言うものが少ないのです。
身近な急性病を概ね克服しつつある現代で、大きな問題になっているのがこの慢性病です。 差し迫った危機が低下して命がある程度保証されると、これまでは持病とされていた、ありとあらゆる病を治そうと考えます。 慢性病といえど病には違いなく、今すぐ命の危機が無いといえど本人にとってはとても不快で苦しいものですからね…。
 
さて、この慢性病を治そうとするとどのようなことになるでしょうか?
大抵は大きな時間とお金がかかります。
生活習慣を変えるなど自身の努力が必要です。
 
このように簡単に治らないのは現代科学が急性病の研究ばかり行い慢性病をあまり熱心に研究していなかったために原因も解決策も遅れているためと言われます。
しかし、仮に慢性病を急性病のように短期間で治そうとしたらどうなるでしょうか? 恐らくは病気が治るよりも早く、治療の副作用によって別の病気が起こります。 治療にはその病に応じた適切な効力というものがあり、効果が強ければ強いほど良い結果が出るというものではありません。 強すぎる治療は必ず体を蝕みますし、その結果、死なないはずの慢性病であるにもかかわらず死に追いやってしまうこともあります。
慢性病の仕組みは急性病に比べて遥かに複雑で、時間をかけて患った病は既に体の一部としてずっと有るわけですから時間をかけて治すしか無いのです。
どんなに時間がかかろうとも結果的にそれが最も効率がよく、高確率で治す方法となります。
 

治そうとしない治し方

現代で生活習慣病、精神病、アレルギー、癌などの慢性病を表す病名がつくものは急性病のように急速に治す方法がありません。 もしも躍起になって短期間で治そうとすれば手痛いしっぺ返しをくらいます。 そのため多くの場合は先ずいま出ている症状を抑える治療を優先しますが病の本体は別に有るため、いくら症状を抑えても治りはしません。 症状を抑えても治らないからこその慢性病なのですから。
では、慢性病を治すためにはどうすればよいか? それは病を治すのではなく病が起こっている仕組みを治すのです。 東洋医学ではそれを本治といいますがそれが生活習慣を正していくということであり、体質を変えると言うことになります。 ただ、そうは言っても自己努力で行うには限界があります。 また、自分の思い込みや気分で治療を行うと間違った方向に進んでいても気づきません。
○○病には△△すればいい。
このような特効薬的な治療法は慢性病にはありません。 仮にそれらしいものがあったとしても一時しのぎであり完治には至りません。 体は常に変化して病もその姿を変えます。 医学というものは理論立ててこの病の進行や治り方を考えたものですから一つの方法に固執することは病を治せないばかりか悪化させたり違う病をつくることにもなります。 実際の治療ではその場に応じた治療、養生が必要になるのです。 医者の存在意義は本来ここにあります。 全てが○○なら△△薬という単純なものなら、薬や手法さえあれば医師など必要がありません。 そうすると薬剤や治療術を資格という名で独占し、マニュアルに沿った仕事をすることが本来の医者ではないはずです。 医者の仕事は限られた条件下でなかなか治らない病をいかにして治すか?ということを考えるスキルを持つところに存在価値があるのです。 その考えを巡らせるのに医学知識以外の多くの知識や見識がとても役に立ちます。
 
新しい病がどんどん出来ても、その治療法はあまり進歩しない現在。 人はそのすべての病を急いで治そうと固執することが如何に危ういかを知るべきではないでしょうか?
癌であっても病で苦しむ前に寿命が来れば有ってもなくても関係がありません。 アレルギーもそれを受け入れて症状が出ないようにすれば有ってもなくても同じです。ヘルニアだって、頚椎症だって、脊柱管狭窄だって痛みやしびれがなければとりあえずは大丈夫。 自分には病気があるのだと受け入れて悪化させないように。有意義な人生を送れるように治療や養生をするほうが、なんでも無理に治そうとするよりもリスクが少ないのです。
病の治療はよりよい人生のために行うべきであって治療が人生の目的になってしまっては意味がありません。 人生に制限がかかる強い治療は治療そのものに意味が有るのか?リスクはどの程度なのか?今するべきかどうか?などを一度しっかりと考えてから行うべきでしょう。
 
 

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