東洋医学だろうと現代医学だろうと治療者が「治せない。」「治したくない。」「治さない。」患者というものは存在します。
理由は病の原因が不明であるとか、難しい病であるとかそのようなものではありません。 その多くは患者に「本気で治る気がない」ものです。 このことを扁鹊という医者が簡潔に語っています。 大昔に書かれたものですが現在でもその言葉には説得力があり、当たり前の内容ばかりです。
治らない貴方。心当たりはありませんか?
扁鹊の六不治②
轻身重财,二不治也。
身を軽んじ財を重んずるは、二の不治なり。
これは治療費をケチる人。ということです。健康よりお金が大切で必要な治療を行わないために治せません。
健康はお金を支払っても確実に手に入るものではありませんから、躊躇する気持ちも理解できます。しかし、可能性の問題としてお金で買える健康があるなら。今よりも有意義な時間が得られるのならば投資するしかありません。 健康さえあれば後にお金を稼ぐことは可能ですから。 病に伏せ、働けないどころか苦しんで過ごす人生などは誰も望まないでしょう。
但し、この六不治というのは治療者側から見たものですから、それとは別に患者の自由意志というものもちゃんとあります。 自分の健康や人生よりも子供のためにお金を残してあげたい…。などの理由により高額な医療を拒否することは個人の自由です。
このような、患者に確たる信念があれば筋の通った意見として理解できますが、ただただ金銭が惜しい人の場合は一不治に出てきた「驕恣」ともなります。 筋が通らない人はどんな言葉で繕っても相手には分かるものです。
私達はたまたま国民皆保険制度のある日本で生活しているためにあまり気に留めませんが、医療とは本来高額なものです。 古代には当然保険制度なんて無いですから医療は全て実費でした。 治療を行う必要があるのにお金を惜しんでそれを行わない人は治せません。
世の中には支払いたくても支払えない人というのも存在します。その場合も当然治せません。但し、治療者によってはそういった人たちへの救済措置として、私財をなげうったり、貧しい人からは治療費を取らず、豊かな人から多く取ることで帳尻を合わせる。ということを行った人もいます。 こういった行為は賛否の分かれるところですが、全ては治療者の「患者を治したい」という一心から行われていることであり、決して医療を安売りしているわけではありません。
現代日本の健康保険制度も同じです。治療にかかるお金を皆で少しずつ負担しましょうという新しい考え方だったわけですが、無意味に医療を消費し続ける人(患者、医療者)がいることはご存知でしょう。
こういった治療者の気持を理解せず、相手の善意につけこむような患者が増えると、いずれは仕組みが崩壊し治療活動を続けることはできなくなります。 医療は有限で高額な資源なのですから当然なのですが、このことを理解できず、また、理解していても自分のエゴで無駄に医療を消費し続ける人は、やはり一不治に出てきた「驕恣」に当てはまります。
お金と医療と健康と。様々な事情や思惑が交錯する世界ですが、どのような理由があれ、ちゃんと治療に来ない人は治せないし、診たくない患者であると言えます。 医療を受けるのにどうしても金銭が問題となるならば、礼節と道理をもって医療者に説明すればその人の持つ力に応じてある程度、手助けしてくれるかもしれません。 それは医療者本人かもしれませんし、国や組織の仕組みかもしれません。 なんにしても最終的に医療を施すのは人。やはり心の問題なのです。
貴方が治らないわけ④へつづく