医療の広義の定義
健康と病気に関する人間のさまざまな諸実践のこと。
狭義の医療
医科
医術に関する学科のこと。内科・小児 科・外科・眼科・皮膚科・耳鼻咽喉科・産婦人科などの総称。
医学
生体の構造・機能および疾病を 研究して疾病の診断・診療・予防の方法を開発する学問。
医療
医術で病気をなおすこと。治療。
医療には広義と狭義の概念があり、狭義のものは更に3つに別れているとされます。 日頃は使い分けていないことが多いですが医療とはこれらを全て含んでいる言葉です。
広義のものでは「健康と病気に関する人間のさまざまな諸実践のこと。」となっているようにあくまでも「取り組み」そのものが医療であって、その「効果」には触れられていません。
時代とともに医療の中身は変わっています。 定義からすれば昔ならば「祈り」や「まじない」であっても医療であったということです。 さすがに現代では祈りが医療だと言うのは大半の人が反対意見を述べるでしょうが、祈ったことで病の回復率が高まるということは一概に嘘だとも言えません。 本人の気の持ちよう次第で生命力が高まり、病の回復率が増すというのは実際に起こることです。 前向きな気持ち、何かに縋り、頼ることで生きる気力を得られるのならばそれもまた意味のあることで立派な医療です。
とは言え、祈りの効果が現代医薬品等に勝るなどとは到底思えません。 医療の意味が取り組みそのものだとしても、その目的は病に罹らないこと。治すこと。これらにあるのですからやはり効率は重要です。 どうせ治療するならば誰だって効率よく治したいと思います。
この効率を求めた結果が現代までの医療の進歩に繋がっています。いかに早くその病を治し、いかに病に罹らないようにするか。 特に如何に早く治すか?という研究に多くの関心が集まります。 そうなると病そのものを治すよりも簡単で誰が見ても効果が分かりやすい、見かけの症状を取ることに研究時間が多く費やされ、医療は病そのものを治すものではなく主に症状を治すものへと進みました。
本来は 病が治る→症状が無くなる となるべきモノが 症状が無くなる=病が治る というありえない図式となり現代の対処療法中心の医療へと進化したのです。
さて、実際には病を治すにしても症状を消すにしても限界があります。生物はいつかは老いて死にます。 老いれば誰でも簡単に不治の病にかかります。 つまり最後の最後は現代の医学、伝統医学でも治らないものばかりだと言うことです。 こういった時に医療とはなんと無力なものかと痛感するわけですが、本当に治らない病になった時に医療の果たす役割は治せない病を治すために執拗な努力することではなく、症状を消すことに躍起になることでもないはずです。 病人の心をいかにして救うか? 病人の尊厳をどれだけ守れるか? こういったことのバランスがとても大切になります。
これは若くて直ぐに命に関わらない病人でも同じことです。 ただ、老いて不治の病となった人より病を治すことが心を救うよりも大きな比重を占めているだけです。
医療は所詮、人の「健康で長生きしたいという欲」を満たすための手段に過ぎません。 そして、実際にはその欲を本当の意味では叶えられないのだから「人の心を救う」手段でもあるべきです。
昔から医と宗教の関係が深かったのはこういった理由からでしょう。現代の医療が「忘れつつあるもの」が最後の最後に患者を病から救えるただ一つのものなのだと思います。