貴方の治らない病を治す方法は一つだけ。

貴方の体の反応を治癒の方向へ向けて働かせることだけです。 前述の通り、薬が効こうが、手術が成功しようが、鍼をしてようが、貴方の生命活動が病を維持しようとしている限りは寛解はしても治りません。 如何にして病を維持する力を弱め、治癒の方向へ向かわせるのか? これが全てです。 そのためには病んでいる貴方自身が!貴方の為に!自分を変えるしか無いのです。

この時の医者は貴方の変化を手伝うだけの存在でしかありません。 しかし、たったそれだけの存在ですが時に大きな効力を持つこともあります。 言わずと知れたことですが、症状を抑え、治癒を促進する。ここにも一つ医療が持つ希望としての意味があります。 なんにしても患者自身が治ろうとする力と、それを助ける医者。この2つが噛み合ってこそ初めて病は早く治るのです。もし、どちらかが欠けているならもう片方がより大きな力を加えるしかありませんが、それにも限度があります。 患者の体調不良時にムリな要求は出来ませんし、 耐えられないほど苦しい治療や体力の限界を超える治療は不可能です。 しかし、患者自身がなおろうとしているなら優しい治療でも十分かもしれません。 

これを世間では免疫力を高めるという言葉で表すこともあります。しかし実際には免疫が強ければ良いと言う単純なものではありません。 あくまでも、貴方の体が起こしている病を維持する働きと生き続けようとする生命力のバランスを考えないといけないのです。

病は様々な要因で発生します。 体調の悪化により不快感や行動の制限が起こるためにタダの悪者と思われがちですが大凡、正常な病とは生き続けるために起こす生体反応であって本来は憎むべきものではありません。  病を起こさなければいけなくなった体外、体内の環境が悪いことや病を招き入れてしまった貴方の耐久力がなかったのです。

どうして?を突き詰めていくと病を治す方針が見える。

どうして病になったのか? どうして治らないのか? これらを考えていくと自ずと自分のやるべきことが見えてきます。 もちろん医者も一緒に考えてくれますが、あくまでも貴方の人生生活の全てを知っているわけではありません。問診や検診の結果から可能性の高いと思える要因を推察して「こうかもしれないね」と提案するのが精一杯です。 とは言え、実際にそんな言い方をしていては患者さんが不安がるので「こうだ!」と断定して伝えることもあります。 だから全てを鵜呑みにしてはいけません。そして全てを疑ってもいけません。難しいです(笑)

とにかく、体を効率よく治癒の方向に向かわせるには医療の効果と自分の生活を一定の方向に合わせる必要があります。医者と患者の意見が食い違ってしまった時、どちらかがどちらかに合わせるしかありません。 普通は知識のある医者に患者があわせるというのが多いですから、まるで医者が治療方針や意思決定をしたように思うのでしょう。 果たして、その医者を選びその医者の意見を聞いた貴方の決定責任はどこに行ったのか? 治すのは貴方の体なのですから全ての責任を他人に丸投げできるものでは無いはずなのですが…。

こういったことは多くの場合、無意識下に起こっていることなので実に多くの人は悪気なく持っている心理だと言えます。ここで語っている私も他の医者にお世話になれば同じような心理状態になってしまうかもしれません。しかし、知っているのと知らないのでは大違いです。 治療を行う上での医者との付き合い方、病を治す方法や過程でおこる様々な問題に直面した時に貴方の病を治す大切な手助けになると思います。

医学は日進月歩で新たな治療法を次々と作り出しています。きっといつかは貴方の病を苦労なく治せる日がくるかもしれません。 しかし、それは何時なのかは分からないのです。 そんなものをただ待つだけが最良の方法とは誰も思わないはずです。 医者はつらい症状を消してくれるかもしれませんが貴方がどうして?を考えず、ただ、任せていてはただでさえ治りにくい慢性化したような難しい病気は更になかなか治りません。 もし対処療法だけで治ったのなら貴方は病気を患いながらも自力で治せるほど位には元気だったと言うことですよ。

このように、最も効率が良い治療は当然、医者と患者が同じ方針のもとに治療に励むことです!!

医者は貴方を回復に導く知識と術を持ち、患者自身その病を完治させる能力を持つ。この2つが合わさってこそ医療は本来の効果を発揮することが出来て早い治癒が望めるのです。 

 

※ここで出てくる医者とは医師限定ではありません。西洋、東洋、手技などを問わず医に関わる全ての人達です。