鍼灸は誤解を受けやすい治療法

(注)このページの内容は私見です。他の治療法等を貶めるものではありません。

鍼灸治療は鍼(はり)と灸(きゅう)を用いて行う物理療法です。起源は古く、中国では石器時代。日本では奈良時代に中国から伝わったとされています。

その手法は基本的には皮膚表面から鍼や灸での刺激を加えるものです。但し細かく分けると無数の手法が有って、その全ては各施術者がその場に応じて良いと思うものが行われています。実際には一人一流派と言われるくらいに多様な手法が有るものですが、近年は多人数を集めて一つの手法を教える流派も多く存在するうえ、You Tubeなどで鍼灸の動画等を見ればハデなパフォーマンスやオカルト紛いのようなものもあり、一般の方にはかなり偏った特定の印象を持たれている場合もあると思います。鍼灸は微細な刺激を使って行うとても地味なタダの物理療法です。特別な能力など必要がない誰でも努力によって習得可能な技術であると考えています。

鍼灸が誤解を受ける理由には仕方のない面があります。

従来、鍼灸の伝承は徒弟制度によるもの。上辺はともかく、流派ごとの要点や秘伝にあたる部分は一般には出回りません。さらに、東洋医学用語は一般の方にとって馴染みがなく、その意味がちゃんと伝わりません。よって、よく分かってもらえない言葉、施術は不思議なものとしてスピリチュアル系やオカルトの類に誤解されることもあります。
また、鍼灸治療を選択する方は日本人では少数派です。行おうとする方は、鍼灸の心地よさを知っているか 美容、健康意識の高い方 もしくは現代医学の仕組みからこぼれてしまい治らないまま対処療法を続けて打つ手を失った方などが殆どです。
慢性化した病はどのような治療をしても数回の治療で劇的に回復することは先ずありません。一時的な症状の寛解を繰り返しながら徐々に回復していくのが普通です。現代では急性期はほぼ間違いなく病院に行きますから、鍼灸が診るものは慢性病ばかりとなります。となると、初めから神がかった効果が期待できる条件を満たしていません。
これらのような事情を初めから理解している患者はあまり多くありません。それでも治療院は経営を続けていかないといけないので慢性病であっても運良く劇的効果がでた「寛解」事例を持ち出し、過度な表現を使い人の目を引き期待させて集客につなげます。一般の方が誤解されても仕方がないでしょう。

そこで先ずは鍼灸が受けている誤解をできるだけ解いていきたいと思います。

何でもすぐに治らない。何にも治らない訳ではない。

鍼灸には即時効果と漸次効果があると言われます。

即時効果は治療したその場で症状が回復するもの。一般の方が考えても効果があるとはっきり解るものです。慢性病でも十分に起こりえますが、それは寛解(一時的な症状の消失)であることが殆どです。漸次効果とは徐々に効いていくるもの。慢性病の回復は概ね時間がかかるので治療を続けて初めて効果を実感します。治療と養生が一体になっている鍼灸の本当の良さを知っている人は派手な即時効果よりも地味な漸次効果を実感した人でしょう。

鍼灸の効果を過度に期待する人。初めから効かないと決めつける人。どちらも一定数居られます。病院でも同じですが一度の治療で治るものばかりでは有りません。また、西洋医学では難病であっても治る(寛解)することもあります。鍼灸は医学であって博打ではありません。一度の結果のみを短絡的に追いかけるのではなく試行錯誤してでも治癒までの過程をどれだけ早く辿るかが大切です。初めて会って初めての治療で治ってしまったらそれは治療者の腕よりも運がよかったのです。治るべき時にたまたま治せる治療が行えただけ。これは治療を長年やっていくと身にしみて理解してきます。

慰安(サービス)と医療(治療)の両面性が有る。

現代医学では肩こり等は不定愁訴と呼ばれて基本的に病とは認識されません。東洋医学では凝っている部分にあんま、指圧、鍼灸などを行うと独特の感覚が生まれて気持ちが良いということもあり、それ自体を目的とした慰安目的の施術があります。
もちろん、不定愁訴を一種の体調不良。病と考える東洋医学ではそれらを治すことを目的にした医療としての施術もあります。

これらは気持ちよくなることを目的にするのか。治すことを目的にするのかの差ですが、仁塾では治すことを目的とした医療として提供しています。 よって治療に来られた人は どのような症状を持たれている方であっても「患者」であり「お客」ではありません。治療の中で気持ちよくなってもらうのは問題ありませんが、施術する側としては常に治すことを念頭に置き施術しています。 そのため、効果を出して治すという目的から外れる提案や行いは却下する場合があります。慢性化した病は生活習慣に根ざすものが多いこともあり、サービス業のように患者の要望ばかりを聞いていては効果が出ないと考えている次第です。

鍼灸の基本は内科。

鍼灸の…というか東洋医学の基本は内科です。現代では肩膝腰のコリ、痛みを主に取り扱うことが多く、病院だと整形外科の範疇の事が多いので外科領域と勘違いされている事が多いです。また鍼が物理療法であることからも外科を連想しやすいです。しかし、病の多くは内科ですし、歴史上、鍼灸治療で治しているものも殆どが内科です。痛みもコリも骨折ですら治そうとするなら当たり前に内科なのです。

内科で診るということは日常的によく起こる風邪やインフルエンザなどの急性熱病も鍼灸治療の対象ということです。現代ではほとんどの人が病院に行くので実際に治療する機会は少ないですが、主に自分自身や親しい人などが患った場合、状況が許せば往診などで普通に治療を行います。(大体は夜間や救急車を呼ぶほどではないが調子が悪いから病院に行けないという笑い話になるような状況です)なお、現代の鍼灸治療の禁忌に発熱時がありますが、これは明らかに鍼灸を慰安としてのみ解釈している西洋医学的な発想。鍼灸師からすればおかしな話です。

先端恐怖症は治療対象。

先端恐怖症または尖端恐怖症(せんたんきょうふしょう、belo・顎など、先端が尖ったものが視界に入った時に強い精神的動揺を受ける、恐怖症の一種である。症状としては、尖ったものが目に向かってくるような錯覚を覚え、恐怖感により一時的に目が開けられなくなるなどが挙げられる。過去に、先端について怖い思い出があると起こる場合もある。

Wikipedia

普通はベッドに横になって行うので鍼は基本的に患者の視野に入りません。

先端恐怖症の根本にあると思えるものに形状から連想される痛みに対する過度な認識があります。実際の痛みの感じ方には個人差がありますが、通常は刺入の初めに痛みがあっても多少であり、その後は入ったことも抜いたこともわからないことが多いです。そのまま寝てしまう人も多くいます。先端恐怖症を自認し鍼灸を拒む人は、未体験であることや鍼という形状からの思い込みがあるものです。実際には鍼灸で使う鍼は様々な形状があり尖っていないものもあります。そのため、工夫により鍼灸での本疾患の治療は可能です。(精神科、心療内科でも暴露療法は普通に行われます)ただし本当に本疾患で困っているか。本人が治療を望むかどうかは別問題ではありますが。

内科、外科、精神科の各種疾患はもちろんその他に於いても鍼灸の適応範囲は一般の方の思うよりも遥かに広いものなのです。

患部に刺すのは下策。

患部に直接刺すのは最も古く原始的な治療法です。一定の効果はありますがほぼ治りません。何千年もかけて研究された成果はちゃんと残されているのだからもっと有効な方法をとるべきです。

刺すだけでは治らない。

鍼治療は刺すというところに目が向きがちですが刺すだけでは治りません。もし治ってしまったらそれはその程度のごく軽い、簡単な病だったというだけです。ちなみに刺さなくても効くことはあります。また、刺すだけで治らないということは刺したあとに必要となる技術に依るところが大きいということです。

ツボの効果だけでは治らない。

鍼灸といえばツボ。ツボにはそれぞれに様々な効果があるとされますが、どのような資料で調べようと書かれている通りにそのツボをただ使ってみてもあまり効きません。もしツボの効果だけで治療ができるのであれば鍼灸師など不要でしょう。ツボの本は一般に多く出回っているのでご家庭で調べて押せばいいだけです。刺すより効果が弱いとはいえ、ちゃんと効いているなら続ければ治ります。

西洋式の思考だけでは限界がある。

鍼という東洋医学の道具を使っても、その使い方が西洋医学で考えていては西洋医学と何も変わりません。西洋医学で考えるなら病院の方が効率的な治療ができるでしょう。鍼灸を行おうとする方は殆どの場合、病院で満足な効果がなかったために来られることが多いので、西洋医学式鍼灸では鍼灸本来の効果は出ないと考えています。 松山鍼灸院 漢方鍼灸個別治療室仁塾では東洋医学を主軸に置いて、かつ西洋医学と東洋医学のいいとこ取りを行うのが現代的な理想と考えています。

たくさん刺せば効くというのは思い込み。

刺す鍼の数が多いほど、深く刺すほど効くわけでは有りません。何事も適材適所。必要十分というのがよいのです。狙った場所に狙った刺激が必要ですので一部に紹介されているたくさん鍼を刺しているような印象的な治療風景はパフォーマンスの一つと考えてもらって良いと思います。少なくとも仁塾の鍼灸治療はとても地味ですので動画や写真にとっても全く映えません。

症状を追いかけても治らない。

医学には対処療法が多くあります。しかし原因がわかっている病は当然、原因にもアプローチします。東洋医学でもそれは同じです。症状は原因から出た結果に過ぎませんので追いかけ回して治しても殆どの場合、再発します。東洋医学は西洋医学とは違った視点から原因を明らかにしています。

勉強しないと治らない。

東洋医学は勉強しないと臨床で全く使い物になりません。鍼灸に於いても上記のようにただ刺すだけでは思ったように効かないからです。仁塾の場合、その勉強内容は主に現代医学と古典医学になります。それらも「記憶」による書いてあるとおりの運用ではいけません。理解して応用できないとその効果はでないので勉強にキリはありません。そのため、いくら行っても自分の勉強不足を痛感することが多いですが、少なくとも現代の最新研究から数千年前に残してくれた知識までできるだけ目を通してイザという時に調べなおせるよう「知っておく」位は日頃から行う必要があると思っております。鍼灸師の仕事は鍼を刺して治療することがメインであるかのように思えますが、実際には勉強、考察するという行為にかける時間や労力のほうが圧倒的に多いのです。

練習、工夫しないと治らない。

鍼灸師は治療者で研究者。技術職で職人です。実際、刺すだけなら素人でも意外と簡単ですが効かせるには練習と勉強が必要になります。繰り返しますが刺すだけでは治らないので効かせるための技や理論。コツを掴むための練習、臨床経験が必要です。つまり、免許をとるだけでは人に施術する資格を得ただけ。はり師、きゅう師国家資格免許取得のための学校は試験に受かるための予備校であって治す方法は何も教えません。

基礎理論が西洋と全く違う。

東洋医学は気の医学。「作用」から体や病を考える医学です。様々な「作用」を操作して治癒に導きますが、その根幹は陰陽論。西洋医学は解剖生理学を基礎にして基本的に「物質」を先に考えて理論展開されるものなので両者はまるで異なります。この考え方の差は東洋医学を理解する上で最も高いハードルになるでしょう。東洋医学が奇異なもの。理解不能な怪しいものなどの認識はこの部分の理解不足が主な原因となります。

東洋医学は数千年~何百年も前の人が体系づけたものなので現代人の感覚では難解なのが当たり前です。それをさも神秘的なもののように解釈、利用して、過度な効果があるように印象を操作した様々なものが世に宣伝されていますが実際の東洋医学は発見と考察、研究、トライ・アンド・エラーからくる淡々とした科学です。一部のもののイメージと混同されませんように。

記述方式、伝達方式が西洋と全く違う。

西洋は数字、記号を使い統計などを利用してその根拠を明らかにし確かな内容を伝えますが、東洋医学は治ったという結果を元にした文章(漢文)で伝えます。東洋医学の伝説級とも言える名医のカルテや著書は伝承されて現代にも残っており、それぞれがソレゾレの理論で治療法を展開しています。つまり同じ病でも治し方は一つではないということです。さらに同じ本を読んでも漢文は読む人によってその意味が変わるものです。この曖昧さは東洋医学の難しさであり、多様性の元であり、可能性でもあります。

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多様性が有る。

西洋医学は解剖生理学という誰が見ても答えは同じ物を根拠にしているのに比べ、東洋医学は視点を変えれば見える景色が違う陰陽論を根拠にします。つまり、同じ病。同じ言葉。同じ治療手段。同じ手技などを使っていてもそれらの指す意味が異なります。

これは東洋医学を難解にしている原因の一つです。同業者。つまり鍼灸師同士でもこの認識の違いによって会話が成り立たないことはよくあります。言葉や意味が通じ会えるのは同じ流派の中だけと考えておかなければいけません。このようなものですから一般の方がちゃんとした理解を得られないのは当然なのです。

松山鍼灸院 漢方鍼灸個別治療室仁塾の鍼治療

鍼灸はあまりにも多種多様であり、私個人の知るところにも限界があるためその全てを語ることなどできませんが、ここでは松山鍼灸院 漢方鍼灸個別治療室仁塾での鍼治療の一部をお伝えしたいと思います。

一般的に鍼灸治療は指圧やマッサージの延長線にあり、それでも鍼を使うのは「素手より鍼を使った方が効く」という事実があるからです。そうでなければ道具を使う意味がありません。また、どんなに派手な手法をとっても見た目から受ける印象ほど効果には影響しません。 それはただ刺すことだけで出せる効果には限界があり、その限界は思っているよりもかなり低いからです。

実際の治療で行っていることを整理してみます。

体の状態を知る。

先ずは患者さんから受ける印象や取っている行動、動作などから解る情報を収集します。

その後は問診。これがなくては始まりません。初診であれば15~20分くらい話していることもあります。それだけ細かく聞き取りを行うと考えてください。

症状から当たりをつけます。

視診や問診によって得られた情報からある程度の当たりをつけます。

実際に体を診て確定します。

ある程度の当たりをつけたらそれが正しいかを体の状態をみて確認します。もちろん東洋医学的な診察が主になります。

知識、経験と照らし合わせて考察します。

ここがキモです。間違えると効きません。

予め持っている知識や経験が少ないと上手く行きませんので患者がいようがいまいが普段からの準備が必要です。診察の結果、当初の予想と違っていたら何度も考察が必要になりますし、治療を勧めていくと体の状態が変わっていくのでその都度対応しなければいけません。

必要な治療を導き出します。

考察から必要と思える治療法を導き出します。それに使うツボも自ずと出てきます。

鍼灸治療の治療法は規定的なものに限っても多くあります。実際にはそれらを組み合わせたり、アレンジしたり、複数つかったり、その順序を入れ替えたりと縦横無尽に運用する事が必要になります。

なお、「鍼を刺す」というのは治療手段であって治療法ではありません。ここでの治療法とは病理や生理を元にした理論です。東洋系理論、西洋系理論のどちらも使います。

効果的と思えるツボを選定し利用して治します。

ある程度でてきている必要なツボをもっと絞って実際の治療に使います。上記の通り、治療が進んだりその日の体調などによって使うツボは異なります。 毎回同じツボを使う治療法は、毎回病院で同じ薬をもらっているのと同じです。それはその治療で効く人には効くが効かない人には効かないという西洋医学と同じ問題を抱えます。同じ治療を行い、そのうちの何%が治ったというような確率によって治るのを待つ治療法は東洋医学ではありません。その場に応じて治る治療法を組み立てるのが東洋医学です。 

慢性病治療の一例

なかなか治らない病気(慢性病)を治すための治療法の一例です。

先ず、前提として生物は生きていると必ず病みます。その病気は本来持っている生命力によって回復に向かうのが当たり前だとしましょう。しかし、治らずに病が続いているということにはそれなりの理由があります。

その理由は病態生理として解釈されるものですが、病が続くということは病を起こすための生理活動が安定して起こり続けているということです。この病的な生理活動は循環しており、これが続く限り治ることは有りません。

今回の治療ではこの安定している病理を壊すことから始めます。循環路のどこかにインパクトを与え、その流れを絶ちます。すると、病が壊れます。

これで治るわけでは有りません。壊れた病は通常、別の症状になって現れます。

慢性病はこのまま放置しておくと元の病理を取り戻してぶり返します。病気を作っている理由はその病気が存続する体の環境にもあるので、その環境も同時に正します。

環境を正しつつ、病気の循環を断つ。それにより出てくる他の症状にも対応する。治療時の体調に応じて攻撃ポイントを変えながら何度も何度も病理の循環にアタックをかけます。

症状を狙っているわけでは有りません。病気を起こしている病理を狙っているのです。病気(病名)は症状の集合体と考えてもらって良いでしょう。

慢性病の治療には時間がかかります。基本的に病は患っていた時間と同じだけの時間が治療にかかるものと考えておいてください。それを如何にして早く回復させるかが医療なのですが、そうそう思ったような効果がでるほど甘いものではありません。それでもより早くより確実に結果を出そうと思えば、治療者の努力に加えて患者の協力が絶対に必要です。

予防について

予防は治療に勝ります。治療にかかる時間が病んでいた時間と同じだけかかるのだと考えれば初めから病まなければ治療時間はゼロですから。しかも病に苦しまなくて済みます。後遺症も気にする必要がありません。それは即ち健康長寿を手に入れるということです。そのため、予防は発病後の治療にかかる時間や金銭的、肉体的、精神的負担も桁違いに軽いです。

病が治った後も体調が思わしくなくてその後の生活の質「QOL」が低下するのは予備力の少ない高齢になるほど起こり得ますが、若い人でも病によっては一生何らかの不調を持つこともあります。予防のありがたみを本当に分かる人は大きな病を患った人か、そういった人を見てきた人だけ。自分自身か大切な人が何らかの取り返しのつかない経験を積まないとなかなか理解を得られないものなのです。

予防は効果がわかりません。

基本的に予防は効果がわかりません。インフルエンザや昨今流行っている新型コロナウイルスのワクチンを例にしてみれば、摂取しても感染し発症します。接種後の発症は病状が軽いと言われますが、摂取しなかった自分と比べることができません。そもそも摂取しなかったとしても感染しなかったかもしれません。 あくまでも効果は統計によってでしか判断できず、その統計も数字のとり方によっては判断が変わるなんとも曖昧なものです。

鍼灸での予防や日々の養生も同じです。どれだけ努力しても効果はわかりません。 どれだけ気をつけていても病気になるかもしれないし、病んだ時には不養生な人よりも軽症ですむかもしれないと思っても養生していなかった自分と比べることはできません。

病の起こり始めは「気」から。生活していて不快症状が起こったり起こらなかったりするのは体調が病に傾いているといいう体からの注意を促すサインです。多くの人はこれらのサインを「ほおっておけば治る大したことがないもの」と考えますので気にもとめませんが、知識を得ると先回りして対処するほうが効率的なのだと理解します。

ただし、先回りして対処してもやはり効果はわかりません。日々の体調は良いかもしれませんけれど、それが当たり前となっていれば有り難みは薄れるもの。人間とははそういうものです。

例外はある。

予防の効果を実感できる例外があります。それは健康を失い慢性病になること。先天的な疾患や治癒の見込みのない難病。重病や長患い。絶対に飲まなければいけない薬の副作用。怪我の後遺症からちょっとした体の違和感まで…。体調が悪い日々が続く場合は予防、養生の効果が分かりやすく出ることが多く効果を実感します。

予防の効果は信じるしかない。

結局はこれに尽きます。

東洋医学の場合、予防の効果の証明と言えるものは経験の蓄積を根拠にした書物による伝承しかありません。それを過去の人間の戯言ととるのか、ありがたい忠告と取るのかは人それぞれです。

そもそも医学自体、その効果を信じるかどうかからスタートしています。江戸のころは漢方が最盛期だったこともあり、西洋医学は忌避されていた事実もあります。どんなに信じていなくても嫌っていてもイザとなったら人は藁をも掴むものです。その時代の蘭方医はたとえ心から信じてもらえてなくても頼られた場合は最善を尽くしたことでしょう。現代では西洋と東洋の立場が逆転しています。医療倫理は洋の東西を問うものでは有りませんから、もし自分が必要とされた場合は自分ができることをできるだけ行うしかないと思います。未だ不勉強で未熟ではありますが、日頃からその時に備え準備に励みたいと思います。

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