それでも絶対に失敗は嫌だ! 犠牲者にはなりたくない! と思われる方々。
しかし、はっきり言ってそれはワガママです。 命や体に係る事柄や治療には「絶対」が無いので医の糧になりたくないなら病まないようにするしかありません。
程度の差はあれど過去の為政者たちと同じく、今の日本人の多くは経済的に余裕が生まれ、一定の自由を手にして生活を営めるようになりました。その結果、求めるのはやはり健康、長寿なのです。 自分の人生がより元気でより長く続くように。
一定の自由を手にした以上、病になることの多くは自分自身の責任です。例外的に先天性や遺伝性のものがありますが、これらにしたって後天的な要因で病状を軽くすることは可能です。つまり病は日頃の生活の結果で起こった体質、体調により誘引し発生したものです。 このことは多くの人が知っていますが実際に病んだ時に治療を行う場合は「自分以外の何かのせい」にし、「自分以外の何か」に頼ります。
例えば、
インフルエンザにかかるのはインフルエンザウイルスがいるからだ。
腰痛になるのはベッドが悪いからだ。
頭が痛いのは仕事でストレスを受けるせいだ。
などなど…。
病の原因は人それぞれですから、こういったことが本当に原因かもしれません。 もしそうなら即刻対処すべきです。 たまに考えられる原因に対しなんの対処を行わないで治療に望まれる方が居られますが。これで「治療に効果がない」「治らない」などと言い始めるのは見当違いもいいところです。
仮に、仕事によるストレスが頭痛の治らない原因として非常に疑わしいとしましょう。
とりあえず治療を試しても治らない場合、仕事を辞めるか、変わるか、仕事内容を見直すか…。などの処置が必要になることもあります。 しかしそんなに簡単に仕事を変えられる人は稀です。 ですから、殆どの人は鎮痛薬などでの対処療法を行うか、放置するか、自分なりの健康法を試すか。となります。 その後、医者の世話になり、医の力で回復すれば良し。治療の効果が出ず我慢できなくなれば諦めとも、怒りとも取れる感情が起こります。
どうしても治らない場合では心身の限界が来ていよいよ転職や休職を考えます。社会の一部として人に必要とされ、生活を維持するために経済活動を行っている以上、ギリギリまで頑張る。これが自然な流れですから仕方がないです。
しかし、病を治すためには治療に専念するのが最も効率が良いのは間違いがありません。 病が深い場合、その排除を考えないのならば非常に治りが悪いのは誰が考えてもわかると思います。
多くの場合、貴方が望む、望まぬに関わらず今の状況を生み出したのは過去の本人の決断です。 同じようにこれから先の時間も自分の決断でどうにでもなります。 健康を害しても、命をかけても果たさなければいけない責任があるならそれに殉じるのもその人の人生です。それを決めるのは自分自身ですからそれ以外の何物のせいでもありません。
科学の発展によって概念的、宗教的な病因は排除されてきましたが、病気を自分以外の何かのせいにする行為は「病気になるのは穢のせいだ」「祖先の祟りだ」「悪魔や魔女のせいだ」と言っていた過去と心理的にはほぼ同じだということです。非科学的なものや概念的なものから科学によってその考え方が変わり、その対象が変わっただけ。 「自分は悪くない。他の何か(誰か)が悪いんだ。」そう思っている時点で本質は同じことです。
治そうとする場合は、たとえそれがどんな原因でも自分の責任において今後を変えていくしかありません。「治療と健康維持は自分以外のもののせいにはできない」それが一定の自由を持ったものの責任です。
つづく…
※ここで出てくる医者とは医師限定ではありません。西洋、東洋、手技などを問わず医に関わる全ての人達です。