肩こり、腰痛、風邪ひきから癌、HIVまで。世の中にはいろいろな体調不良、病がありますが医者にかかって治らなかった経験はありませんか? 恐らく、多くの人に多少の経験があると思います。 治療をして治らないとなると多くの人は医者が悪いと思うのでしょうか。 その場合は先ず、そう考えることがおかしいのですがこの辺はご理解いただけるでしょうか?
医者にかかったら良くなった! この場合、医者の手柄だと思い込みがちですが果たして本当にそうでしょうか? ほっといても同じように治ったかもしれませんよ? 例えば、普通の健康人が普通の風邪をひいて病院に行くのと、行かないでほっとくのとどちらが早く治るかなんて証明できません。
他の記事でも書いていますが、この世の中に確実に治る病など存在しません。しかし、治りやすい病はたくさんあります。 その多くはこれまでの研究や経験において治療が確立していたり、そもそも治療など必要がなかったりというものです。 逆説的に絶対に治らない病も存在しません。しかし、とっても治りにくい病というものはとてもたくさんあります。これも科学での解明ができていなかったり、古代からの経験で治らないと言われているものです。
「医者にかかっても治る保証なんて何もない。」これは恐らく、殆どの人が感覚的には分かっているのではないでしょうか?しかし、自分がいざ病気となると治るのが当たり前。治らないのは治せない医者が悪いという幻想に捕らわれるのです。 絶望や体調不良からの苛立ちがそうさせるのかもしれません。些細な医療ミスや望まない結果に目くじらを立てる風潮も医者に対する過度な期待の現れではないのでしょうか?
本心では信用していなくても人は何故、医療に頼るのでしょうか? それは一刻も早く病や症状から逃れたいからに他ならないでしょう。 そうすることで命の危機から遠ざかりたいという本能です。 そして、医療が今ある病を治す可能性にかけているからでしょう。 その期待に医療は100%応えることはできないと分かっていてもです。
医者が病を治せない理由はただ一つ。
人は他の生き物の体内で起こる生命維持活動の本質に直接干渉することができないからです。
何を言っているんだ? 薬や手術、手技、医療機器などで治療しているではないか?とお叱りを受けそうですが、これらのなかで本質的に直接病を治しているものは何一つありません。 全て、患者本人の生命力、自然治癒力、免疫などと呼ばれるものを助け、導き、維持して治療に向かわせているだけです。 それでもある意味で病の原因の一つに近づいたのは「抗生物質」などではないでしょうか? 病因が、菌感染の場合にその菌の増殖を「薬が」抑えます。ただ、感染菌を殲滅するのは免疫であり、殺した菌の後処理を行うのもやはり免疫です。そしてここは体に丸投げ。もし免疫が働かず菌を殺しけれないとどうなるか?また、菌の死骸が体内に残っていたらどうなるか?良い結果にならない予想は多くの人が普通に思いつくのではないでしょうか?
もし、科学の力や知識の力で生命活動に直接干渉し維持できればそれはもう不死の技術です。 放っておいたら心停止する人に電気ショックを与えても、強心剤を与えても自力で動くことはなく、蘇生しないことがあるのはきっとご存知でしょう。今の医療ではこの辺りが限界なのですが、これをなんとかしてしまおうという事ですからきっと生死をコントロールできてしまいます。 そして、病でもこれは全く同じです。 病を治そうとしても体が治そうとする力そのもの、生命活動そのものの本質に迫れないために確実に治すことはできません。
では、医者の役割とは何か?
一番大きなものは患者に希望を与えることです。 経験と知識、技術から確率的に治せる可能性という希望を与え、本人の力を鼓舞し、病を治すのです。 医者が使っているそのための助けになる手段が医療としての手技、手法、技術、知識、薬などです。 治らない病があるとして、医療の力で可能なことは、症状を抑えることと、治癒へ向かって患者の生命活動を高め、導くことです。
当然、免疫の働きを無視して一時的に病や症状を抑えても病そのものが治るわけではありません。 病が治らないと免疫が低下した時に再発します。 それを繰り返し、自己免疫力が病に勝てば病は自然治癒し、負ければ進行、悪化、最悪は死となります。 病と免疫の力が拮抗していれば慢性化です。
しかし、免疫を治癒の方向へ導ければいずれ自然に治るかもしれません。 また、方向性さえ有っていれば医療により治癒を加速させることも出来ます。
これが医者が患者に希望を与え叶える為にできることです。
では、どうすれば貴方の病は治癒の方向へ向かうのでしょう?
つづく…
※ここで出てくる医者とは医師限定ではありません。西洋、東洋、手技などを問わず医に関わる全ての人達です。