病気を治せない医者の存在意義

健康になるためのHOW TO⑩では医者は病を治せないと書きました。 しかし、医者が完全に無力かと言えばそうでもありません。 解明されている病ならきっと治るでしょう。 解っていない病でも知恵を用いて何らかの治療は可能です。 医者の本分は治療ですからこのような治療は当然行いますが、目の前の人を助けるということ以外にも医者には存在意義があります。

 

昔から人が自然に立ち向かう唯一の武器は知恵でした。 知恵は工夫を生み、道具を生み、術を生みます。医術も長年の人の病と死の経験から少しずつ発展したもので死の恐怖から遠ざかるという願望を満たす手段となりました。 昔から各国の皇帝や王は莫大な富を所有していましたが、そうなると必ずその時間が長きに渡ることを欲するものです。 逃れられない死という運命を如何に退けるかと考えることが当然なのです。

 

体調の不良は病気となり、病むということは健康を失い、健康を失うと言うことは時間を失う。これは即ち命が短いということでした。支配階級の衰退や死は世の中の混乱の元になります。 その為、少しでも平安な世が続くように、死への恐れから逃れ生への欲望を満たすために、古代から今に至るまでずっと王などには体調管理などを行う医者、専門者がついています。

実際、その人たちの功績は大きく、手厚い健康管理や治療により病や死を免れた者も多くいました。しかしその反面、医の力が及ばずに亡くなった人も当然多くいます。  

時代に関わらず、医は病と戦い多くの敗北と膨大な犠牲を出して少しずつ発展していきました。 そして現代も発展途上であり人類は未だ病を克服してはいません。だから医者は過去の経験を学び、自身の試行錯誤により治療に取り組むのです。 その効果は出ることもあれば全く効かないこともあるでしょう。

これらの失敗は無駄ではありません。失敗を繰り返すことで病への理解を深め、より効率の良い治療を発見することが出来ます。  つまり、病を治すことが出来ない医者の持つ存在意義とは、今ある病と戦うと共に未来の子どもたちがより健康に長く生きられるように考え、実践し続けることで医術の発展を促すことです。 私たちはたまたまこの時代に産まれましたが、今の医療は過去の人たちの努力と犠牲の上に成り立っています。 子孫たちからみれば今の我々も過去の犠牲者、貢献者の1人に過ぎなくなります。 

その犠牲者を一人でも減らそうとする人種が医者です。 残念ながら病を治すことはできませんが知識と知恵をもって健康に近づくための努力はできます。 もし、病んでしまい医に頼るしかない場合は、自身のためにも未来の為にも努力する医者に関わるべきというのはこういった理由です。

 

つづく…

 

※ここで出てくる医者とは医師限定ではありません。西洋、東洋、手技などを問わず医に関わる全ての人達です。